給与計算を、事務スタッフ1人、あるいは院長のご家族が担当している。毎月の計算は問題なく回っていて、支給日に遅れたこともない。10人前後の事業所であれば、珍しい体制ではありません。
その担当者が辞めることになったとき、事業所が心配するのは「来月の給与が出せるか」です。ただ、実際に起きるのはそこではありません。給与は、たいてい問題なく出ます。
この記事で扱うのは、引き継ぎが問題なく終わったあとに適切な給与計算が行えるようになったのか?、という話です。
「上からの指示」で引き継ぎが終わるとき
給与計算の担当者が辞めると言い出したとき、事業所がまず考えるのは後任です。ただ、10人前後の事業所で、給与計算の経験者を外から採用するという選択が取られることは、多くないでしょう。実際には、いま院内・施設内にいる人から労務担当者が選択されます。医療事務の職員が事務長の仕事を兼ねる。介護職員が事務処理を行う。もしくは、今まで給与計算業務を行っていなかった総務の所属のスタッフから選択される。院長の家族が引き受ける。
この時点で、引き継ぎには2つの条件が揃っています。

前任者は、根拠を持って処理をしていたか?
引き継ぎは、前任者が持っているものを後任に渡す作業です。逆にいえば、前任者が根拠を持っていないものは渡せません。
中小規模の事業所では、手当の額は事業主や管理者の感覚で決まっていることがほとんどです。「この人にはこれくらい」という判断が先にあり、その金額が毎月の明細に反映されている。前任者は、その額を入力してきた側です。なぜその額なのかを説明できるとは限りません。前任者自身が、上からの指示を受け取る立場だったからです。
計算の手順は持っている。支給の根拠は持っていない。引き継げないのではなく、最初から手元にない、という状態です。
後任は、何を聞けばよいか分からない
もう一方の条件です。後任は、給与計算をしたことがありません。
引き継ぎの場で質問が出ないのは、後任が遠慮しているからではありません。給与計算を一度も通してやったことがなければ、どこに判断が必要なのかが分からないからです。締め日に集計し、控除を引き、明細を出す。この流れは説明を聞けば分かります。しかしその流れの中に判断を要する箇所がいくつも埋まっていることは、何か月か回してみて初めて見えてきます。
引き継ぎの時点では、まだ見えていません。
「そのまま付けておいて」で、引き継ぎは完了する
そして最初の給与計算の月が来ます。後任は先月の明細を開き、同じ項目に同じ金額を入れていきます。判断に迷う項目があれば、院長や管理者に確認します。返ってくる答えは、たいてい「そのまま付けておいて」です。
これで引き継ぎは終わります。給与は支給日どおりに振り込まれ、職員からの問い合わせもありません。誰も困っていない状態です。
残ったのは、根拠を失った金額です。もともと感覚で決まっていた額が、感覚のまま次の人へ渡りました。前任者が日々の運用の中で埋めていた細部、たとえば遅刻があった月の扱いや、月の途中で入職した職員の日割りは、聞かれなかったので引き継がれていません。後任はいずれ同じ場面に出会い、自分の判断で埋めることになります。
問題は、前任者でも後任でもありません。聞くべきことを知っている人が、この事業所にいないという点にあります。
そのまま処理をしているから、気づかない
引き継ぎが終わった翌月も、そのまた翌月も、給与計算は問題なく回ります。支給日に振り込まれ、明細も出る。ここが、この問題のいちばん扱いにくいところです。
業務が止まれば、誰かが気づきます。止まらないものは、放置されます。
では、いつ表に出るのか。実際に問い合わせが増えるのは、次の4つの場面です。
職員から「前は付いていた」と言われる
いちばん早く、いちばん多い形です。
前任者は、遅刻があった月にも皆勤手当を付けていたかもしれません。あるいは、月の途中で入職した職員の手当を、日割りにせず満額で支給していたかもしれません。後任は先月の明細を見て処理していますが、先月そのケースが発生していなければ、明細には何の手がかりもありません。自分の判断で、日割りにします。
翌月、職員から指摘が入ります。院長は経緯を知りません。前任者はもういません。このとき、どちらが正しいかを判断する材料が事業所にないという事実が、初めて表に出ます。
新しく職員を採るとき
既存の職員にいくら払っているかは、明細を見れば分かります。しかし、なぜその額なのかが分からないと、新しく採る人の条件を決められません。
同じ資格、同じ勤務日数の職員が2人いて、手当の額が違う。理由は前任者の時代に決まっており、記録がない。この状態で3人目を採ろうとすると、どちらに合わせるかの判断ができません。既存職員との整合を欠いた条件を提示すれば、後から不満が出ます。
労働基準監督署の調査を受けるとき
支給の根拠が説明できない状態は、調査の場面で最も重く出ます。
厚生労働省が公表した「賃金不払が疑われる事業場に対する監督指導結果(令和7年)」によると、令和7年に全国の労働基準監督署が取り扱った賃金不払事案は22,605件、対象労働者数は173,016人、金額は128億5,782万円でした。
このうち業種別の内訳を見ると、保健衛生業が、対象労働者数(47,033人・27.2%)と金額(27.1億円・21.1%)の両方で全業種中1位となっています。一方、件数では3,620件(16.0%)で3位です。
件数が3位で、人数と金額が1位。これは、1件あたりの規模が大きいことを意味します。手当の扱いを1つ誤ると、同じ扱いを受けている職員全員に、まとめて影響が及ぶためです。ひとりの計算ミスではなく、事業所のルールそのものが対象になります。
なお、ここでいう保健衛生業は労働基準法上の業種区分で、医療業のほか社会福祉施設なども含みます。この統計は賃金不払全体の集計であり、支給基準が不明確な事案に限ったものではありません。ただ、医療・介護分野で表面化する不払いの規模が、他業種と比べて小さくないことは示しています。
次の担当者が、また変わるとき
そして最後に、同じことがもう一度起こります。
2人目の担当者も、いずれ辞めるか、配置が変わります。3人目に渡されるのは、1人目の運用でも院長の判断でもなく、2人目が自分の感覚で埋め直したものです。手当の額は変わっていないのに、運用だけが少しずつずれていきます。
止まらないので、誰も止めません。気づいたときには、いつからそうなっていたのかを追えなくなっています。
明細を見ても答えが出ない3つの支給基準
引き継ぎで渡されるのは、先月の給与明細と勤怠データです。後任はこれを見て、今月の計算をします。
多くの項目は、これで足ります。基本給は変わりません。時間外の割増は、勤怠データから計算できます。社会保険料は、標準報酬月額が決まっていれば自動的に出ます。控除も同じです。
問題は、明細にも勤怠データにも載っていない情報を必要とする項目です。医療機関・介護事業所でよく見かけるのは、次の3つです。
| 手当 | 院長・管理者が決めていること | 誰も決めていないこと |
| 職務手当 | 誰にいくら付けるか | 役職や担当が変わったとき、額を変えるのか |
| 皆勤手当 | 欠勤した月は支給しない | 遅刻・早退があった月、年休を取った月をどう扱うか |
| 職能給 | 現在の等級と、その額 | 次に上がる時期と、その条件 |
右の列に共通するのは、先月の明細を見ても答えが出ないという点です。そして左の列があるために、事業所は「基準は決まっている」と認識しています。
職務手当 — その手当が何に対して払われているか
職務手当は、事業所によって中身が違います。役職や担当業務に対して払っているところもあれば、実質的に残業代の前払いとして払っているところもあります。両方が混ざっていることもあります。
後任にとって困るのは、明細を見ても、どちらなのかが分からないことです。「職務手当 20,000円」という行があるだけで、それが何に対する対価なのかは書かれていません。
判断が必要になるのは、状況が変わったときです。主任だった職員が主任でなくなったとき、職務手当は下げるのか。訪問件数の多い担当から外れたとき、変えるのか。残業が減った月はどうするのか。前任者は、過去に一度は判断しているかもしれません。しかしその判断は記録されていないので、後任には見えません。
ここで後任が選べるのは、実質的に1つです。変えないこと。触ると説明を求められるため、そのままにします。結果として、職務手当は「一度付いたら変わらない手当」になっていきます。なお、職務手当を残業代の前払いとして扱っている場合の整理については、固定残業代を廃止する場合の手順と不利益変更の実務で詳しく扱っています。
皆勤手当 — 決まっているのは、欠勤の場合だけ
皆勤手当は、支給の条件が最も曖昧なまま運用されている手当です。
たいていの事業所で決まっているのは「欠勤したら支給しない」までです。これは分かりやすく、誰も迷いません。迷うのはその手前にある状態です。
- 5分の遅刻が1回あった月は、支給するのか
- 早退が2回あった月はどうか
- 年次有給休暇を取得した月は、出勤として扱うのか
- 半日単位で年休を取った日は、どちらに数えるのか
前任者は、これらに毎月答えを出してきました。ただしその答えは、就業規則にも賃金規程にも書かれていないことが多く、明細を見ても分かりません。遅刻があった月に手当が付いていれば、遅刻を無視する運用だと推測できますが、その月に遅刻がなければ、明細には何の情報も残りません。
なお、年休を取得した日を欠勤と同じ扱いにするかどうかは、事業所ごとに判断が分かれる部分です。年休の取得を理由とする不利益な取扱いについては、労働基準法附則第136条が、賃金の減額その他不利益な取扱いをしないようにしなければならないと定めています。実務上どう設計するかは、手当の額や制度の趣旨によって考え方が変わるため、自己判断で切り替えるのではなく、規程に定めたうえで運用するのが確実です。
職能給 — 額はあるが、上がる条件がない
職能給や資格手当は、額そのものは明細に載っています。等級表を作っている事業所であれば、どの等級かも分かります。
分からないのは、次にいつ上がるのかです。
勤続年数で上がるのか、資格の取得で上がるのか、院長の評価で上がるのか。上がるとしたら、いくら上がるのか。これらが決まっていないと、後任は昇給の処理をする根拠を持ちません。前任者は「毎年4月に院長から指示が来ていた」という運用を知っていたかもしれませんが、指示が来なければ何も起きないため、その運用自体が引き継がれません。
そして職員から「そろそろ上がりませんか」と聞かれたとき、答えられるのは院長だけになります。基準がないので、そのつど判断することになり、判断のたびに前例との整合が問題になります。
3つに共通していること
いずれも、支給を始めた時点では判断が要らなかった手当です。誰にいくら払うかを決めれば、翌月から運用できます。判断が必要になるのは、状況が変わったとき、つまり役職が変わる、遅刻する、昇給の時期が来るときだけです。
そのため、決めていない部分があることに、事業所は気づきません。毎月同じ額を払っている限り、基準がないことは表に出ないからです。
引き継ぎの場で「この手当の基準は」と聞かれないのも、同じ理由です。前任者にとっても、基準は必要なかったからです。
実績報告を出せていても、基準は残っていない
ここまで挙げた3つの手当には、共通点があります。事業所が独自に設けた手当で、外部に説明する機会がないという点です。
一方、医療機関・介護事業所には、外部に説明することが制度上求められている手当があります。処遇改善手当とベースアップ手当です。
介護事業所が介護職員等処遇改善加算を算定する場合、年度ごとに処遇改善計画書を提出し、年度終了後には実績報告書を提出します。医療機関がベースアップ評価料を算定する場合も、賃金改善の計画と実績を地方厚生局に報告します。加算として受け取った額が、実際に賃金の改善に充てられたかを確認するための仕組みです。
つまりこれらの手当については、誰にいくら配ったかが、文書として事業所に残ります。明細だけでなく、集計表や報告書の控えが手元にある。他の手当とは、情報の残り方が違います。

[図2|figure-02-jisseki-hokoku-kingaku-kijun.png|alt:実績報告書に残るのは配分した金額であり、配分の基準は残らないことを示す図|キャプション:報告書に書くのは結果の金額で、なぜその額かは書かない]
それでも、引き継げるとは限らない
ここまでを読むと、加算まわりは管理できているように見えます。実際、施設長や院長からも「加算の報告は毎年きちんと出している」という反応をよく聞くところです。
ただ、報告書に書くのは結果の金額です。加算としていくら受け取り、賃金改善としていくら支払ったか。要件を満たしているかどうかを確認するための書類なので、それで足ります。
書かないのは、なぜその配分になったのかです。
同じ職種、同じ勤務日数の職員2人に、違う額を配っている。その差がどこから来ているのかは、報告書には書きません。経験年数を見たのか、資格の有無を見たのか、担当している業務の重さを見たのか。決めたのは施設長や院長で、その判断は書類に残らないまま、金額だけが記録されます。
後任が引き継ぐのは、その金額だけです。新しく職員が入ったとき、あるいは職員の資格や勤務日数が変わったときに、いくら配ればよいのか。前年の配分表を見ても、自分と同じ条件の人がそこにいなければ、答えは出ません。加算をどの費目で配るかという設計そのものについては、処遇改善加算を基本給・手当・賞与のどれで配るかを扱った記事で整理しています。
制度が求めているのは、報告であって、基準の文書化ではない
この構造は、加算に限った話ではありません。
行政への報告義務がある手当ですら、残っているのは結果の金額であって、配分の基準ではない。報告書という形で毎年整理する機会があり、記録も残っている。それでも基準は文書になっていません。
外部への説明が制度として組み込まれている手当がその状態であれば、報告義務のない職務手当や皆勤手当は、なおさらです。
「加算の報告は出せているから、うちの給与計算は整理されているはずだ」という認識は、ここで一度切り離しておく必要があります。報告書が出せることと、担当者が変わっても同じ配分を再現できることは、別のことです。
問題となる時期は、想像することができる
ここまでは、毎月の給与計算の話でした。判断が必要な項目があっても、後任は先月の明細を頼りに進めることができます。
一方、年に数回しか来ない作業では、先月の明細が手がかりになりません。前回やったのは1年前で、やったのは前任者という状態になるためです。
医療機関・介護事業所に限らず、この時期は決まっています。
- 4月前後 — 健康保険料率・介護保険料率、雇用保険料率の改定。控除額の変更が必要になる
- 6月から7月 — 労働保険の年度更新と、算定基礎届。前年度の賃金を集計し、標準報酬月額を決め直す
- 随時 — 昇給や手当の新設で固定的賃金が変わった場合の月額変更届、賞与を支給した場合の賞与支払届
引き継ぎが行われるのが年度末や年度初めであれば、後任は着任して数か月のうちに、年度更新と算定基礎届に同時に向き合うことになります。毎月の計算に慣れる前に、年に一度の作業が来る形です。
そして、これらの作業に必要な情報も、明細には載っていません。年度更新であれば、どの職員を雇用保険の対象に含めていたか。算定基礎届であれば、どの手当を報酬に含めて計算していたか。前任者は毎年同じ処理をしてきたはずですが、その判断が書き残されていなければ、後任は一から確かめ直すことになります。
担当者が替わる時期は、事業所側で選べます。辞める時期は選べなくても、引き継ぎに厚みを持たせる時期は選べる。4月から7月に交代が重なると分かっているなら、その前に手を打っておく余地があります。
なお、料率の改定は、単に数字を書き換えるだけでは済まない年があります。控除項目そのものが増える改定もあり、その場合は計算の仕組み自体に手を入れることになります。この点は、労務管理をExcelで続ける場合のリスクを扱った記事で詳しく整理しています。
退職する前に、判定材料をまとめておく
ここまでの話は、担当者が辞めてから対応しようとすると難しくなります。前任者がいるうちに手を付けるのが、いちばん確実です。
とはいえ、退職の申し出があってから完璧な引き継ぎ書を作るのは現実的ではありません。日常業務は続いていますし、引き継ぎに割ける時間も限られています。分量を絞り、判断が必要な部分だけを書き残すのが、実際に終わる方法です。
手順1|手当を書き出し、判断が要るものに印を付ける
まず、明細に出ている手当をすべて書き出します。基本給と法定の割増賃金は除いて構いません。
書き出したら、それぞれについて「今月、判断せずに支給額を決められるか」を確認します。毎月同じ額を払うだけのものは、判断が要りません。金額が変わり得るもの、対象者が変わり得るものだけが残ります。
多くの事業所では、残るのは3つから5つ程度です。ここに絞れば、次の手順の負担は大きく減ります。
手順2|前任者に「例外」を聞く
印を付けた手当について、前任者に聞くことは1つだけです。
「これまでに、判断に迷ったことはありますか」
「基準は何ですか」と聞くと、たいてい答えは返ってきません。前任者も基準を持っていないためです。しかし、迷った場面は覚えています。遅刻が続いた職員がいた月、月の途中で退職した職員がいた月、産休に入った職員の手当をどうするか確認した月。
そのときどう処理したかを聞き取り、そのまま書き留めます。理由や正しさの検討は後回しで構いません。まず、これまでの運用を記録に移すことが目的です。
手順3|決まっていない部分を、決める
書き出してみると、前任者も迷ったことがない項目が出てきます。これまで一度も発生していない場面です。
- 遅刻・早退があった月の皆勤手当
- 月の途中で入職・退職した職員の手当の日割り
- 年次有給休暇を取得した月の扱い
- 役職や担当が変わったときの職務手当
これらは、いずれ必ず発生します。発生してから決めると、対象になる職員がすでにいる状態で決めることになり、判断が難しくなります。誰にも当てはまらないうちに決めておくほうが、決めやすく、説明もしやすくなります。
手順4|決めたことを、規程に書く
書き留めたものは、メモのままにしておくと、そのメモ自体が引き継ぎの対象になります。次の担当者に渡らなければ、同じことが起こります。
置き場所は、賃金規程です。就業規則を作成する場合、賃金の決定・計算の方法は必ず記載しなければならない事項とされています(労働基準法第89条第2号)。常時10人未満の事業場には就業規則の作成義務がありませんが、書く場所としては同じところが適しています。事業所の文書として残り、担当者が替わっても引き継がれるためです。
なお、この機会に、給与データやマイナンバーを置いているファイルと、それを開ける人を確認しておくと、後の手間が減ります。引き継ぎは、情報の置き場所を整理する数少ない機会でもあります。
全部やらなくてよい
4つの手順のうち、優先度が高いのは手順1と手順2です。何が判断を要する項目なのかが分かっているだけで、後任は「聞くべきこと」を持てます。引き継ぎが空回りする原因は、後任が何を聞けばよいか分からないことにありました。手順1と2は、そこを埋める作業です。
手順3と4は、時間があるときに進めれば足ります。規程への反映は、内容によっては労働条件の変更にあたる場合もあるため、現状の書き出しを先に済ませておくほうが、順序としても無理がありません。
内製化を継続するか、アウトソーシングするか
判断が必要な項目を書き出したあとで、体制をどうするかという話になります。選択肢は2つです。
内製化を継続する場合
給与計算を院内・施設内で続ける場合、担当を1人にしないことが対策になります。ただ、10人前後の事業所で2人分の人手を給与計算に充てるのは、現実的ではありません。
代わりになるのは、判断の材料を人ではなく規定を明確しておくことです。手当の支給条件を設定として入れておけば、条件そのものが記録として残ります。遅刻があった月に皆勤手当をどう扱うかを設定してあれば、後任は設定を見れば分かる。前任者に聞く必要がなくなります。
勤怠についても同じです。打刻の記録が事業所側のデータとして残っていれば、後任は過去にさかのぼって確認できます。手元に記録がなければ、確認のしようがありません。クラウドの勤怠管理を入れると何が変わるかは、介護の複数施設で導入した場合の変化を扱った記事で整理しています。
ただし、設定を入れる時点で判断が必要です。遅刻があった月にどうするかを決めていなければ、設定できません。前章の手順を先に済ませておく必要があるのは、このためです。
アウトソーシングをする場合
給与計算そのものを外部に委託する方法もあります。担当者の退職で計算が止まることはなくなり、法改正への対応も委託先が行います。
注意しておく点が1つあります。支給の基準を決めるのは、委託しても事業所側です。委託先ができるのは、示された条件で計算することであり、「遅刻があった月に皆勤手当を付けるか」を決めることではありません。基準が曖昧なままだと、委託先から確認の連絡が来て、そのつど院長が判断することになります。
もう1つは、基準を事業所側に残しておくことです。委託先だけが運用を把握している状態になると、委託先を変える場合や、後から院内・施設内に戻す場合に、同じ引き継ぎの問題が起こります。外に出すことと、事業所側に記録を持たないことは、別のことです。
どちらを選ぶかは、事務職員の人数と、シフト・手当の複雑さによって変わります。共通しているのは、支給の基準を文書にしておくことが、どちらの前提にもなるという点です。
よくある質問
引き継ぎ期間は、どれくらい確保すればよいですか
期間の長さより、その期間に何回の給与計算を一緒に回せるかで考えるほうが実際的です。1か月では1回しか経験できず、月ごとに発生する例外に出会えません。2か月あれば2回、賞与の月をまたげば賞与計算も経験できます。
ただし、期間を延ばせない場合のほうが多いはずです。その場合は、判断が必要な項目を書き出し、前任者に迷った場面を聞く作業を優先してください。回数を確保できないときほど、書き残す作業の価値が上がります。
前任者がすでに退職していて、もう聞けません。どうすればよいですか
過去12か月分の給与明細を並べて、月ごとに金額が動いている項目を探します。動いている項目には、何らかの判断が入っています。
同時に、その月の勤怠データを確認します。手当が減っている月に欠勤があれば、欠勤で減らす運用だったと分かります。遅刻があった月に手当が変わっていなければ、遅刻は考慮していなかったことになります。明細と勤怠を突き合わせると、記録に残っていない運用がある程度は復元できます。
それでも分からない部分は残ります。その場合は、これまでの運用を推測で埋めるのではなく、これから先のルールとして決め直すほうが確実です。
手当の基準を今から決めると、これまでの支給が間違っていたことになりませんか
基準を決めること自体が、過去の支給を誤りと認めることにはなりません。これまで基準がなかった状態を、これから先について明確にする作業です。
ただし、決めた内容がこれまでの運用より不利になる場合は、労働条件の変更にあたることがあります。たとえば、これまで遅刻があっても皆勤手当を支給していたのに、今後は不支給とする場合です。この場合は、変更の手続きが必要になります。
そのため、まず現在の運用をそのまま書き出すことをお勧めしています。書き出した内容と実態が一致していれば、変更にはあたりません。
就業規則がない事業所でも、賃金規程だけ作れますか
作れます。常時10人未満の事業場には就業規則の作成義務がないため、届出も不要です。
ただし、就業規則がない状態では、賃金以外の労働条件、たとえば労働時間、休暇、退職に関する事項も文書になっていないことが多くなります。給与計算の引き継ぎに必要なのは賃金の部分ですが、10人未満の事業所でも就業規則を整備すべき理由は別にあります。順序としては賃金規程から着手して差し支えありません。
まとめ
給与計算の担当者が辞めても、給与計算は毎月しなければなりません。後任は先月の明細を見て同じ額を入力し、迷ったところは「そのまま付けておいて」という指示で埋めます。給与は支給日に振り込まれ、誰も困りません。
失われるのは、計算する力ではなく、支給の根拠です。
- 引き継ぎが空回りするのは、前任者が根拠を持っておらず、後任が何を聞けばよいか分からないため
- 止まらないので気づかない。表に出るのは、職員から指摘されたとき、新しく採用するとき、調査を受けたとき
- 明細を見ても答えが出ないのは、職務手当・皆勤手当・職能給のように、状況が変わったときだけ判断が要る手当
- 加算の実績報告を出せていても、残っているのは配分した金額であって、配分の基準ではない
- 対策は、判断が必要な項目を書き出し、前任者に迷った場面を聞くこと。ここまでで大半が片付く
担当者が辞める時期は選べませんが、書き出しておく時期は選べます。引き継ぎが始まってからでは、日常業務と並行することになります。
なお、社会保険・労働保険の料率や手続きの期限、加算の要件と様式は改定されます。この記事は2026年8月時点の情報に基づいています。実際の手続きにあたっては、厚生労働省・日本年金機構・都道府県労働局・地方厚生局の最新の情報をご確認ください。判断に迷う場合は、労働基準監督署・年金事務所、または顧問の社会保険労務士にご相談ください。



