クリニック・歯科医院の36協定。出していても無効になる4つの落とし穴

診療時間は9時から19時。日曜と水曜が休みで、土曜は午前だけ。休憩を除けば、スタッフの労働時間は週に35時間ほど。残業らしい残業もない。

こうしたクリニックの院長が、「うちは36協定なんて必要ないだろう」と考えるのは、無理のないことです。週の労働時間は法定の40時間に届いていないのですから。

しかし、その感覚には、ひとつ見落としがあります。法定労働時間は、週だけでなく、1日にも定められています。週が35時間でも、ある1日が8時間を超えていれば、その超過分は時間外労働です。そして時間外労働をさせるには、36協定の締結と届出が要る。人数の多寡は関係ありません。

さらにやっかいなのは、すでに36協定を届け出ているクリニックの側にも、落とし穴があることです。労働基準監督署の受付印が押されていても、その協定が法的に無効と判断される場合があります。

この記事では、医科クリニックと歯科医院を対象に、36協定が「なぜ必要なのか」と、「出していても無効になるのはどんなときか」を整理します。あわせて、勤務医のいないクリニックにとって「医師の働き方改革」がどこまで関係するのか、その線引きもはっきりさせます。

目次

クリニックでも36協定は必要——「人数」も「週の労働時間」も理由にならない

36協定が必要かどうかを判断するとき、多くの院長が持ち出す理由が2つあります。「うちは10人もいない」と、「うちは残業させていない」です。

結論から言えば、このどちらも、36協定が不要である理由にはなりません。順に見ていきます。

10人未満でも必要——就業規則との決定的な違い

まず、人数についてです。

「常時10人未満なら労働基準監督署への届出は要らない」という感覚は、就業規則と混同したことから生まれています。

就業規則には、たしかに人数の基準があります。労働基準法第89条は、常時10人以上の労働者を使用する事業場に対して、就業規則の作成と届出を義務づけています。裏を返せば、10人未満の事業場には、作成・届出の法的義務がありません。

一方、36協定には、人数による適用除外が存在しません。労働基準法第36条は、時間外労働または休日労働をさせる場合に、協定の締結と届出を求めています。そこに事業場の規模は書かれていません。労働者が1人であっても、その1人に法定労働時間を超える労働をさせるのであれば、36協定は必要です。

この2つの制度は、義務が生じる条件がまったく違います。「10人未満だから、労働基準監督署に出すものは何もない」という理解は、ここで崩れます。

週は40時間に届いていない。しかし壁は「1日8時間」にもある

次に、労働時間についてです。ここが本題になります。

クリニックの所定労働時間は、週40時間に届いていないことが少なくありません。日曜が休診で、平日にもう1日休診日があり、土曜は午前のみ。この形であれば、休憩を除いた実労働時間は、週35時間前後に収まります。

だからこそ院長は、「うちは法定労働時間の範囲内だ」と考えます。週については、その理解は正しい。

ただし、労働基準法第32条は、法定労働時間を2つ定めています。1週間について40時間。そして、1日について8時間。この2つは、どちらか一方を満たせばよいというものではなく、両方を満たす必要があります。

つまり、週の合計が35時間であっても、ある1日の労働時間が8時間を超えれば、その超過分は法定時間外労働です。

クリニックの現場では、これは決して珍しいことではありません。たとえば、午前診が9時から13時、午後診が15時から19時であれば、実働は8時間ちょうどです。ここで診療が押して19時30分まで延びれば、その日は8時間30分。片付けや器具の滅菌に30分かかれば、9時間になります。週の合計が40時間に届いていなくても、その日については、1日8時間を超えた時間外労働が発生しています。

院長が「週」で見ているあいだに、法律は「日」も見ている。ここが、36協定を届け出ていないクリニックが生まれる、最も大きな理由です。

パートだけの職場でも必要

3つ目に、雇用形態です。

「正職員がいないから」「パートさんだけだから」という理由も、36協定を不要にはしません。労働基準法上の労働者に、雇用形態による区別はないためです。

そして、パート職員こそ、1日8時間を超えやすい構造にあります。午前診と午後診を通しで勤務するパート職員は、クリニックでは一般的な働き方です。この場合、勤務時間が1日8時間を超えることがあります。「短時間勤務だから労働時間管理はゆるくてよい」という感覚は、ここで通用しません。

なお、1日8時間を超えた労働に対しては、36協定の届出とは別に、2割5分以上の割増賃金の支払い義務も生じます(労働基準法第37条)。協定を出すかどうか以前に、賃金の問題としても向き合う必要があります。

補足:週44時間の特例は、多くのクリニックにとって実益がない

なお、常時10人未満の保健衛生の事業(診療所・歯科医院を含む)は、「特例措置対象事業場」として、週の法定労働時間が44時間に緩和されます(労働基準法第40条、同法施行規則第25条の2)。

ただし、この特例を実際に採用しているクリニックは、多くありません。前述のとおり、そもそも週40時間に届いていない診療体制であれば、44時間まで枠を広げても使い道がないためです。

そして、より重要なのは次の点です。この特例が緩和するのは「週」の労働時間だけであり、「1日8時間」の上限は一切変わりません。「特例措置対象事業場だから、残業代も36協定も要らない」という理解は、誤りです。

「医師の働き方改革」は、あなたのクリニックの話ではない

2024年4月から、医師の時間外労働に上限規制が適用されました。A水準、B水準、C水準。年960時間、年1,860時間。面接指導。そして、医療機関専用の36協定の様式。

こうした情報に触れて、「うちも複雑な手続きが必要になるのか」と身構えた院長は、少なくないはずです。

結論を先に言います。勤務医を雇用していない無床クリニック、および歯科医院にとって、この制度は関係がありません。理由を3つに分けて説明します。

歯科医師は、ここでいう「医師」に含まれない

まず、歯科医院についてです。

医師の上限規制は、労働基準法第141条の「医業に従事する医師」を対象としています。この「医師」に、歯科医師は含まれません。

厚生労働省が公表している「医師の時間外労働の上限規制に関するQ&A」は、この点を明確に述べています。「医業に従事する医師」における「医師」は医師法上の医師に限定され、資格で判断されるため、歯科医師と獣医師は該当しない、と。

したがって、勤務歯科医師には、一般の労働者とまったく同じ上限規制が適用されます。すなわち、原則として月45時間・年360時間。特別条項を付ける場合でも年720時間。しかもこの一般則は、中小企業に対して令和2年4月からすでに適用されています。2024年に何かが新しく始まったわけではありません。

歯科医院の院長が、A水準やB水準の指定を検討する必要はありません。都道府県知事への申請も、面接指導実施医師の確保も、不要です。

院長自身は、労働者ではない

次に、医科クリニックです。

労働基準法上の「労働者」とは、事業に使用され、賃金を支払われる者を指します(第9条)。個人開業のクリニックの院長は、自らが事業主です。自分で自分を使用することはできませんから、労働者には該当しません。医療法人の理事長についても、法人を代表する使用者であり、原則として同様です。

したがって、院長ひとりが診療にあたり、あとは看護師と医療事務というクリニックには、そもそも「医師である労働者」が存在しません。上限規制の対象となる医師がいない以上、この制度は関係しないことになります。

なお、理事のうち、実態として指揮監督下で診療のみに従事し、報酬も労務の対価としての性格が強い場合は、労働者と判断される余地があります。名目上の役職ではなく、就労の実態で判断される点には注意が必要です。

使用する様式——医師がいなければ、一般の様式でよい

最後に、届出の様式です。

医療機関専用の様式(様式第9号の4・第9号の5)は、厚生労働省のQ&Aによれば、「特定医師」に時間外・休日労働を行わせる場合に用いるものとされています。「特定医師」とは、病院または診療所で勤務し、診療を直接の目的とする業務に従事する医師のことです。

裏を返せば、特定医師にあたる勤務医がいなければ、この専用様式を使う必要はありません。院長のほかに医師がいないクリニックや、歯科医師と歯科衛生士だけの歯科医院であれば、一般の様式第9号(特別条項を付ける場合は様式第9号の2)で届け出ることになります。

一方、勤務医を雇用している場合は、その医師について様式の取り扱いが変わります。この場合の届出の組み立て方については、所轄の労働基準監督署に確認されることをお勧めします。無床クリニックでも、勤務医が1人でもいれば、A水準(年960時間)の枠組みで労働時間を管理する必要が生じます。

ここまでを整理すると、次のようになります。

職員構成医師の上限規制36協定の様式
院長のみ+看護師・医療事務関係なし様式第9号(特別条項は第9号の2)
歯科医師+歯科衛生士・受付関係なし(一般則が適用)様式第9号(特別条項は第9号の2)
勤務医を雇用しているA水準が適用される所轄労働基準監督署に確認を

多くのクリニック・歯科医院にとって、36協定は「医師の働き方改革」の問題ではありません。一般の事業場と同じ、労働基準法第36条の問題です。だからこそ、次章以降の内容が、そのまま自院に当てはまります。

落とし穴1:出していても無効になる——過半数代表者という関門

ここからは、すでに36協定を届け出ているクリニックに向けた話です。

労働基準監督署の受付印が押された36協定の控えが、ファイルに綴じてある。だから安心だ——そう考えている院長に、確認していただきたいことがあります。

その協定に署名したスタッフは、どうやって選ばれましたか。

もし「院長が、一番長く勤めているスタッフに声をかけて、印鑑をもらった」のであれば、その36協定は、届け出てあっても無効と判断される可能性があります。

労働基準法が求めている「2つの条件」

36協定は、使用者と、労働者の過半数を代表する者との間で締結します。この「過半数代表者」について、労働基準法施行規則第6条の2は、2つの条件を定めています。

条件1:管理監督者でないこと

労働基準法第41条第2号にいう「監督若しくは管理の地位にある者」は、過半数代表者になれません。院長は当然として、事務長など、経営者と一体的な立場にある者も対象外です。

条件2:適正な手続きで選出されること

条文はこう定めています。36協定を締結する者を選出することを明らかにして実施される投票、挙手等の方法による手続により選出された者であって、使用者の意向に基づき選出されたものでないこと。

この後半部分が決定的です。「使用者の意向に基づき選出された者でないこと」。院長が特定のスタッフを指名する行為は、まさに「使用者の意向に基づく選出」にほかなりません。

つまり、院長が選んだ時点で、条件2を満たさなくなります。

「サインさえもらえば」が通用しない理由

ここで、多くの院長が疑問に思うはずです。「労働基準監督署は受け取ったではないか」と。

労働基準監督署は、届出を受理する際、記載事項の漏れといった形式面を確認します。しかし、その事業場で実際にどのような選出手続きが取られたかまでは、届出の場で明らかになるわけではありません。受付印は、手続きが適正であったことの証明ではありません。

問題が表面化するのは、後になってからです。労働基準監督署の調査が入ったとき。あるいは、退職したスタッフから未払い残業代を請求されたとき。そこで「代表者は院長が指名した」という事実が明らかになれば、選出手続きの適正性が問われます。

そして、36協定が無効と判断された場合、何が起きるのか。

36協定の効力は、「免罰効果」と呼ばれます。法定労働時間を超えて働かせることは、本来、労働基準法第32条に違反する行為です。36協定を締結し、届け出ることによって、初めてその違反を問われなくなる。つまり36協定は、残業を「許可」する書類ではなく、違法状態を「免れる」ための書類です。

したがって、協定が無効であれば、免罰効果は生じません。届出をしていなかったのと、法的には同じ状態になります。それまで行わせてきた時間外労働は、労働基準法違反であったということになりかねません。

「サインさえもらっておけばよい」という発想が、なぜ危ういのか。それは、その一枚の紙が、法令違反を免れる唯一の根拠だからです。根拠が崩れれば、支えていたものがすべて崩れます。

「過半数」の母数を、正しく数える

もうひとつ、見落とされやすい点があります。「過半数」を数えるときの母数です。

過半数代表者とは、その事業場のすべての労働者の過半数を代表する者を指します。ここでいう「すべての労働者」には、次の者が含まれます。

  • 正職員だけでなく、パート・アルバイトも含む
  • 時間外労働をする予定がない短時間勤務者も含む
  • 産休・育休・私傷病により休職中の者も含む
  • 管理監督者も含む(自ら代表者になることはできませんが、選出する側としては母数に入ります)

たとえば、正職員3名、パート5名、休職中1名というクリニックであれば、母数は9名です。過半数は5名。正職員3名だけで選出しても、過半数の支持を得たことにはなりません。

クリニックはパート職員の比率が高い職場です。「常勤スタッフで決めればよい」という感覚で選出すると、この要件を満たせなくなります。

スタッフ5人の職場で、どう選ぶか

とはいえ、数名規模の職場で「投票」と言われても、現実味がないと感じられるかもしれません。実際、「誰も代表者になりたがらない」という声もよく聞かれます。

しかし、施行規則が求めているのは、大がかりな選挙ではありません。条文は「投票、挙手」としており、その事業場の労働者の過半数が候補者を支持していることが明確になる、民主的な手続きであれば足りると解されています。労働者どうしの話し合いや、持ち回りによる決議も含まれます。

小規模なクリニックであれば、次のような進め方が現実的です。

  1. 目的を明示する。「今年の36協定を締結する代表者を選ぶ」ということを、院長からスタッフ全員に伝える。何のための代表者かを明らかにすることが、条文上の要件です
  2. 選出はスタッフに委ねる。院長は候補者を指名しません。立候補または推薦により候補者を決め、スタッフ間で決めてもらう
  3. 過半数の支持を確認する。全スタッフ(パート・休職者を含む)を母数として、過半数の支持があることを確認する
  4. 記録を残す。選出の経緯と結果を、簡単な書面にして残しておく。後日、手続きの適正性を問われたときに、これが証拠になります

院長がやるべきことは、「誰を選ぶか」ではなく、「選ぶ場を作ること」です。そして、その場に院長は関与しない。この線引きが守られていれば、条件2はクリアできます。

なお、過半数代表者になったこと、なろうとしたこと、代表者として正当な行為をしたことを理由に、不利益な取扱いをすることは禁じられています(労働基準法施行規則第6条の2第3項)。協定の内容に異議を唱えたスタッフを、それを理由に不当に扱うことはできません。

落とし穴2・3:1年で切れる。そして、遡って有効にはならない

過半数代表者を適正に選び、協定を締結し、労働基準監督署に届け出た。ここまでできていれば、36協定は有効です。

ただし、それは1年間だけです。

36協定は、毎年出し直す

36協定には、有効期間があります。

「有効期間」そのものに、上限を定めた条文はありません。行政通達は「定期的に見直しを行う必要があると考えられることから、有効期間は1年間とすることが望ましい」としています(平成11年3月31日 基発169号)。

ここで、「望ましい、ということは2年でも構わないのではないか」と考える院長もおられるかもしれません。しかし、実務上、2年の協定は通りません。

理由は、別の条文にあります。労働基準法第36条第2項第2号は、36協定で定める「対象期間」——実際に時間外労働をさせることができる期間——について、「一年間に限るものとする」と規定しています。こちらは「望ましい」ではなく、法律上の要件です。

対象期間が1年に限られている以上、有効期間だけを2年に延ばしても意味がありません。協定届の様式も、1年を前提に作られています。結果として、有効期間は1年で作成することになります。2年で作成して届け出ようとしても、労働基準監督署の窓口で作り直しを求められることになります。

つまり、36協定は毎年、締結し直して届け出るものです。開業時に一度出したきり、というクリニックがあれば、その協定はとうに失効しています。

福井労働局も、事業主向けの案内で次のように注意を促しています。「36協定を1度提出すれば、それ以降は提出しなくても残業させてもよい」と誤解している事業場があるが、36協定には1年間の有効期間があり、毎年届け出る必要がある、と。これは、行政側が「よくある誤解」として認識しているということです。

「自動更新」にしても、届出は毎年必要

「毎年、代表者を選び直して署名をもらうのは面倒だ」——そう考えて、協定書に自動更新の条項を入れることを検討される院長もいます。「期間満了の一定日前までに労使いずれからも異議の申出がなければ、同一条件で1年間更新する」という定めです。

この条項を置くこと自体は可能です。しかし、実務上の負担は、ほとんど軽くなりません。

行政通達(昭和29年6月29日 基発355号)は、自動更新によって協定が更新された場合であっても、その更新について労使いずれからも異議の申出がなかった事実を証明する書面を、所轄労働基準監督署長に届け出なければならないとしています。

つまり、自動更新にしても、毎年、書面を作って届け出るという手間は残ります。署名をもらう手間が省けるだけで、届出は消えません。手続きを簡略化する目的で自動更新を選ぶ実益は、乏しいと言えます。

届出は、遡らない

そして、最も注意していただきたいのが、ここです。

36協定は、労働基準監督署に届け出たときに効力を生じます(労働基準法第36条第1項)。届け出る前の期間に、遡って効力が及ぶことはありません。

具体的に考えます。前年度の協定が3月31日に満了し、新しい協定の起算日を4月1日と定めていたとします。ところが、更新を失念したまま日が過ぎ、5月10日になって気づき、慌てて労働基準監督署に届け出た。

このとき、届出書には5月10日の受付印が押され、協定は受理されます。しかし、効力が生じるのは届出以降です。4月1日から5月9日までの約40日間は、36協定が存在しない状態として扱われます。

この空白期間に、スタッフが1日8時間を超えて働いていたなら、その時間外労働は、免罰効果のない状態で行われたことになります。理由書を添えても、謝罪しても、過去に遡って適法になることはありません。

「気づいたときに出せばいい」は、通用しません。36協定は、有効期間が始まる前に届け出ておく必要があります。

だから、期限管理が労務管理になる

ここまでの3つの落とし穴——過半数代表者の選出、有効期間の満了、届出の遅れ——には、共通点があります。

どれも、悪意なく起こることです。

院長は残業代を踏み倒そうとしているわけではありません。代表者を指名したのは、スタッフに気を遣わせたくなかったからかもしれない。更新を忘れたのは、診療に追われていたからでしょう。

しかし、労働基準法は、動機を問いません。手続きが要件を満たしているかどうかだけを見ます。

だからこそ、36協定は「気持ちの問題」ではなく「期限と手続きの問題」として扱う必要があります。次章では、専任の労務担当者がいないクリニックでも回せる、現実的な運用の形を整理します。

小規模クリニックの「守れる」運用

ここまで、3つの落とし穴を見てきました。完璧な労務管理体制を求められている、と感じられたかもしれません。

しかし、専任の労務担当者を置けないクリニックに必要なのは、精緻な仕組みではありません。シンプルで、続けられる形です。この章では、その現実的な落としどころを整理します。

周知——掲示していなくても、問題はありません

まず、届け出たあとの話です。

36協定は、届け出て終わりではなく、労働者への周知が必要です(労働基準法第106条)。ここで「壁に貼り出さなければならないのか」と身構える必要はありません。

周知の方法は、掲示だけではないからです。条文は、掲示または備え付け、書面の交付、そして電子的な方法(労働者がいつでも確認できる機器を設置するなど)を認めています。

実際のところ、36協定を待合室やバックヤードに掲示しているクリニックは、ほとんど見かけません。多くの院では、就業規則や各種届出とともにファイルに綴じ、スタッフが必要なときに確認できる状態にしています。これで周知の要件は満たせます。

近年は、36協定をPDF化してクラウドストレージに保管し、全スタッフがいつでも閲覧できるようにしている院も増えています。これも、条文が認める周知方法として位置づけられます。掲示スペースの限られたクリニックにとっては、むしろ合理的な選択肢です。

期限管理——1年に1回の予定として組み込む

3つの落とし穴のうち2つは、期限を管理していれば防げます。

有効期間の起算日が4月1日なら、締結と届出は3月中に終えていなければなりません。逆算すると、2月には過半数代表者の選出に着手する必要があります。

これを「思い出したときにやる」運用にしていると、必ず抜けます。カレンダーや予定管理システムに、毎年繰り返す予定として登録してしまうのが、最も確実です。「2月:36協定の代表者選出」「3月:締結・届出」と入れておく。それだけで、更新忘れという落とし穴は、ほぼ塞げます。

届出は、労働基準監督署の窓口に出向かなくても、電子申請(e-Gov)で完結できます。開庁時間に合わせて診療を抜ける必要がなくなり、提出履歴も残ります。診療で手一杯の院長にとっては、負担の差が大きい部分です。

就業規則との関係——36協定だけでは、残業を命じられない

最後に、見落とされがちな点をひとつ。

36協定を届け出ても、それだけではスタッフに残業を命じることはできません。

前章で述べたとおり、36協定の効力は「免罰効果」です。法定労働時間を超えて働かせても労働基準法違反に問われない、という効果にとどまります。スタッフに残業する義務を負わせるには、就業規則または労働契約に、時間外労働を命じることがある旨の定めが必要です。

つまり、36協定と就業規則は、セットで機能します。片方だけでは、成り立ちません。就業規則を整備していないクリニック、あるいは開業時に雛形をそのまま使ったきりのクリニックは、この機会に見直しを検討する価値があります。

なお、36協定の適正な締結・届出は、助成金の要件にもなっています。厚生労働省の「働き方改革推進支援助成金」では、交付申請時点および支給申請時点で有効な36協定が締結・届出されていることが、支給対象事業主の要件とされています。この助成金には、病院等を対象とする業種別のコースも設けられています。36協定の整備は、法令遵守のためだけでなく、公的支援を受ける前提としても意味を持ちます。

よくある質問

Q. 36協定を届け出ていない状態で残業させると、どうなりますか

労働基準法第32条(法定労働時間)または第35条(法定休日)の違反となります。罰則は、6か月以下の懲役または30万円以下の罰金です(同法第119条)。

罰則は法人だけでなく、違反行為を行った者にも科され得ます。個人開業のクリニックであれば、院長自身が対象です。

Q. パート職員も、36協定の人数に含めますか

含めます。労働基準法上の「労働者」に、雇用形態による区別はありません。

協定届に記載する労働者数だけでなく、過半数代表者を選出する際の母数にも、パート・アルバイトを含めます。休職中のスタッフも、在籍している以上は母数に入ります。

Q. スタッフが院長ひとりと看護師1人だけでも必要ですか

必要です。36協定に、人数による適用除外はありません。院長は労働者ではありませんが、看護師1人に1日8時間を超える労働をさせるのであれば、36協定の締結と届出が要ります。

Q. 更新を忘れていました。今から遡った日付で提出できますか

できません。36協定は届け出たときに効力を生じ、届出前の期間に遡ることはありません。

失念に気づいた時点で、速やかに締結・届出を行ってください。空白期間に行わせた時間外労働については、割増賃金が適正に支払われているかを確認し、不足があれば精算する必要があります。

Q. 院長が代表者を指名してはいけない理由は何ですか

労働基準法施行規則第6条の2が、過半数代表者について「使用者の意向に基づき選出されたものでないこと」を要件としているためです。院長による指名は、この要件を満たしません。

要件を欠いた協定は、労働基準監督署に受理されていても、無効と判断される可能性があります。

Q. 誰も代表者になりたがりません。どうすればよいですか

まず、過半数代表者の役割を正しく伝えることが有効です。協定内容に責任を負う立場ではなく、労働者を代表して協定を締結する立場である、ということです。また、代表者になったことを理由とする不利益な取扱いは、法令で禁じられています(同施行規則第6条の2第3項)。

そのうえで、立候補が出ない場合は、推薦により候補者を立て、スタッフ全員で信任を確認する方法が現実的です。院長が「この人にしよう」と決めることだけは、避けてください。

Q. 歯科医院ですが、勤務歯科医師にも「医師の働き方改革」の上限規制は適用されますか

適用されません。厚生労働省のQ&Aにより、労働基準法第141条の「医師」は医師法上の医師に限られ、歯科医師は該当しないとされています。

勤務歯科医師には、一般の労働者と同じ上限規制(原則として月45時間・年360時間)が適用されます。届出の様式も、一般の様式第9号です。

Q. 残業がまったく発生しないなら、届け出なくてよいですか

そのとおりです。36協定は、法定労働時間を超える労働、または法定休日の労働をさせる場合に必要となるものです。1日8時間・週40時間の範囲内に完全に収まっており、法定休日の勤務もないのであれば、届出義務はありません。

ただし、「原則として残業はない」という運用と、「1分も超えることがない」という実態は別です。診療の延長、急患対応、月末月初のレセプト業務などで1日8時間を超える可能性があるなら、あらかじめ届け出ておくべきです。届出は遡れません。

まとめ

36協定について、この記事で確認してきたことを整理します。

クリニックにも36協定は必要です。人数は関係ありません。週の労働時間が40時間に届いていなくても、1日8時間を超えれば時間外労働です。パート職員だけの職場でも同じです。

そして、「医師の働き方改革」は、多くのクリニック・歯科医院にとって関係がありません。勤務医がいなければ一般の様式で足り、歯科医師はそもそも制度の対象外です。複雑な水準の話に、時間を割く必要はありません。

そのうえで、すでに36協定を届け出ている院にこそ、確認していただきたいことがあります。

  • 過半数代表者は、院長が指名していませんか
  • 有効期間は、切れていませんか
  • 届出は、有効期間が始まる前に済んでいますか

36協定は、出したかどうかではなく、有効かどうかで決まります。労働基準監督署の受付印は、手続きが適正であったことの証明ではありません。要件を欠いた協定に、免罰効果は生じません。

とはいえ、これらはいずれも、手続きを知っていれば防げるものです。代表者を選ぶ場をスタッフに委ねること。更新を年間予定に組み込むこと。届出を期日前に済ませること。専任の労務担当者がいなくても、続けられる形は作れます。

なお、労働時間や36協定に関する制度は、改正されることがあります。届出の様式も、2024年4月に改定されました。この記事は執筆時点(2026年7月)の制度に基づいていますが、実際に手続きを進める際は、厚生労働省や所轄の労働基準監督署が公表する最新の情報をご確認ください。

自院の36協定が適正な手続きを経ているか、あるいは労働時間の管理が実態と合っているかに不安がある場合は、所轄の労働基準監督署に相談することもできますし、医業・歯科の労務に詳しい社会保険労務士に確認を依頼することもできます。協定が無効であったことが明らかになるのは、たいてい、トラブルが起きた後です。そうなる前に、一度、ファイルの中の一枚を確認してみてください。

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この記事を書いた人

兵庫県川西市の川西隆之社労士事務所
クラウドツールを活用した労務のデジタル化を得意としています

税理士事務所勤務平成22年3月~平成31年1月
社労士業補助平成22年3月~平成28年8月
社労士登録平成28年9月~
1984年3月9日生まれ。
兵庫(但馬)産まれ兵庫(但馬)育ち。川西市在住。
一人の妻と3人の子どもたち。

2005年社労士試験合格
2016年開業登録(岐阜県)
→2020年より兵庫県川西市にて開業

以下の事項に力を入れています。
・クラウド勤怠管理・給与計算を利用した勤怠管理・給与計算の効率化
→給与計算に必要な時間の圧倒的な削減

・クラウド労務管理を導入することで、法定帳簿の管理・社会保険手続きの効率化
→代行することなく自社での管理・申請が容易に可能

・適切な労務管理を行うことによる、労使トラブルの防止
→疑問点があれば、その都度の相談可能

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