第1回では、2026年10月にカスハラ対策が義務化されること、そして放置が経営リスクに直結することをお伝えしました。「よし、対策を進めよう」と考えたとき、現場で最初にぶつかる壁があります。
それは、「そもそも、どこからがカスハラなのか」という線引きの難しさです。
認知症の利用者が職員に暴言を浴びせる。障害のある方が強い口調で要求を繰り返す。介護事故のあとに、家族が長時間にわたって説明を求める。——これらは、すべてカスハラなのでしょうか。それとも、対応すべき正当な訴えなのでしょうか。
ここで判断を誤ると、二つの方向に転びます。本来はケアや配慮で対応すべきことまで「カスハラだ」と突き放してしまうか、逆に、職員が耐える必要のない理不尽まで「相手は利用者だから」と我慢させてしまうか。どちらも、利用者にとっても職員にとっても不幸な結果を招きます。
本記事は、介護事業所のカスハラ対策シリーズの第2回です。この「境界線の見極め」ー何がカスハラで、何がそうでないのかを、認知症の症状、障害のある方への合理的配慮、そして正当な苦情との関係から、順に整理していきます。


カスハラと「そうでないもの」を分ける視点
線引きをするには、二つの準備が必要です。ひとつは「カスハラとは何か」という定義をはっきりさせること。もうひとつは、目の前の言動がそれに当たるかを測る「物差し」を持つことです。
まずはこの土台を整えます。
カスハラの定義をもう一度確認する
第1回でも触れたとおり、カスハラは次の3つの要素をすべて満たす言動と定義されています。
①顧客等(介護現場では利用者やその家族など)による言動であること
②その言動が、業務の性質などに照らして社会通念上許容される範囲を超えていること
③それによって職員の就業環境が害されること、の3つです。
重要なのは、3つすべてを満たして初めてカスハラになる、という点です。
逆に言えば、どれか一つでも欠ければカスハラには当たりません。この「②社会通念上許容される範囲を超えているか」が、現場でもっとも判断に迷うところです。
介護で線引きが難しいのはなぜか
そもそも、なぜ介護現場ではこの判断がこれほど難しいのでしょうか。理由は大きく三つあります。
ひとつは、利用者や家族と毎日、継続的に深く関わる関係だからです。
一度きりの来店客とは違い、関係が続くぶん、対応の難しさが積み重なります。
ふたつめは、相手に寄り添うケアそのものが仕事だからです。
「どこまでが熱心なケアで、どこからが過剰な我慢か」の境目が曖昧になりがちです。
みっつめは、相手が高齢者や障害のある方であり、認知症の症状や障害に起因する言動が混じることです。
本人に悪意がない言動を、一律に「カスハラ」と判断してよいのか、という難問が生まれます。
見極めの物差し:「内容」と「手段」の2軸
そこで、本記事では2つの軸で考えることを提案します。
ひとつめの軸は、「要求・言動の内容」です。その要求は、そもそも正当なものか、それとも不当なものか。
ふたつめの軸は、「手段・態様」です。たとえ要求の中身が正当でも、それを伝えるやり方が社会通念を超えていないか。たとえば、暴力や脅迫、長時間の居座り、人格の否定といった形になっていないか、という視点です。
加えて、それが一度きりか、反復・継続しているかも判断材料になります。
この「内容」と「手段」、そして「反復継続性」という物差しを当てはめると、次章以降で扱う認知症の症状、障害のある方への配慮、正当な苦情との線引きが、ぐっと整理しやすくなります。
認知症の症状(BPSD)による言動はカスハラか
介護現場で最も判断に悩むのが、認知症の利用者による暴言や暴力をどう捉えるか、です。
介助中に突然つねられる、頭突きをされる、大声で罵倒される。これらをカスハラとして扱うべきなのか。ここは慎重に考える必要があります。
BPSDとは何か
認知症には、記憶障害などの中核症状に加えて、暴言・暴力・興奮・介護拒否・徘徊といった「行動・心理症状」が伴うことがあります。これをBPSDと呼びます。
大切なのは、これらが本人の人格や悪意から出ているわけではない、という点です。
脳の機能の低下を背景に、不安や痛み、不快感、環境への戸惑いといった要因が引き金となって現れる「症状」です。つまり、利用者は「困らせてやろう」として暴れているのではなく、本人もまた困っている状態にある、ということです。
症状による言動は「カスハラ」ではなく「ケアの課題」
ここで、第1章の2軸を当てはめてみます。
BPSDによる暴言・暴力は、「手段・態様」だけ見れば社会通念を超えているように見えます。
しかし「内容」の軸、すなわち「悪意のある不当な要求か」という点では、当てはまりません。症状として現れたものだからです。
厚生労働省の整理でも、認知症などの病気や障害に起因する言動は、カスハラとして捉えるのではなく、認知症ケアの課題として向き合うべきものとされています。したがって、対応の方向性も、カスハラへの対応(毅然とした警告や利用の制限など)ではなく、なぜその症状が出たのかを考え、ケアを工夫するという方向になります。
ただし「症状だから我慢」では済まない——安全配慮の二段構え
ここが、最も誤解されやすい落とし穴です。
「症状だから仕方ない、職員が我慢すべき」という結論にしてはいけません。原因が症状であっても、職員が暴力で負傷したり、心身をすり減らしたりしてよいわけではありません。
第1回で見たとおり、事業主は職員に対する安全配慮義務を負っています。これは相手の言動が症状由来かどうかに関係なく及びます。つまり、「ケアの課題として向き合う」ことと、「職員の安全を守る」ことは、二段構えで両立させなければならないのです。症状を理由に職員を危険にさらし続ければ、事業所側の責任問題になり得ます。

実務でどう向き合うか
具体的には、まずその言動がなぜ起きたのか、背景や誘因(痛み、不安、トイレなどの不快、対応のタイミング)を探り、ケアの方法や環境を見直します。
そして何より、職員個人に抱え込ませないことです。
「自分の対応が悪いから」と一人で背負わせず、チームで情報を共有し、記録をとり、組織として対応する。必要に応じて、医師や認知症ケアの専門職と連携し、リスクが高い場面では複数人で対応するなどの工夫をします。
症状への理解と、職員を守る姿勢。この両方をもって向き合うのが、BPSDへの正しい対応です。
障害のある方からの「合理的配慮の求め」との線引き
介護の利用者の中には、障害のある方も含まれます。その方やご家族から強い要求が寄せられたとき、それをカスハラと捉えてよいのか。
ここも、慎重な線引きが必要な領域です。
合理的配慮とは——障害者差別解消法
障害者差別解消法という法律があります。
これは、障害を理由とした不当な差別を禁じるとともに、障害のある人から社会的な障壁を取り除いてほしいと求められた場合に、過重な負担にならない範囲で対応する「合理的配慮」を、事業者に求めるものです。この合理的配慮の提供は、2024年4月から民間の事業者にも義務づけられました。介護事業所も当然この対象に含まれます。
配慮を求めること自体はカスハラではない
ここで第1章の2軸を当てはめます。
「内容」の軸で見れば、障害のある方が必要な配慮を求めることは、法律にも裏づけられた正当な権利の行使です。したがって、配慮を求める行為そのものは、カスハラには当たりません。
「障害のある方からの強い要望」と聞くと身構えてしまうかもしれませんが、その求めが正当な配慮の範囲であれば、それは事業所が応えるべき正当な訴えです。
ただし、手段が逸脱すれば話は別/要求は無制限ではない
一方で、注意すべき点が二つあります。
ひとつは「手段・態様」の軸です。たとえ求めの中身が正当でも、それを伝える手段が、暴力や脅迫、職員への人格攻撃、執拗な恫喝といった形になれば、その部分はカスハラに転化し得ます。
もうひとつは、合理的配慮には「過重な負担にならない範囲で」という限界があることです。事業者は、自らの体制でできる範囲で対応すればよく、あらゆる要求に無制限に応じる義務があるわけではありません。事業所の能力を大きく超える過大・不当な要求を執拗に押しつけてくる場合、それはもはや「配慮の求め」ではなく、カスハラの側に寄ってきます。
介護現場での留意——二つの誤りを避ける
実務では、二つの誤りを避けることが肝心です。ひとつは、「障害のある方の要求はすべてのまなければ」と萎縮しすぎること。もうひとつは、逆に、正当な配慮の求めまで「わがまま」と切り捨ててしまうことです。
正当な配慮の求めには誠実に応じ、手段が逸脱した部分や、過重な負担を超える要求については、きちんと線を引く。この使い分けが、障害のある方への対応の基本になります。
「正当な苦情・要望」とカスハラの分かれ目
認知症の症状でも、障害に伴う配慮の求めでもない。通常の利用者やご家族からの苦情・要望。実は、この領域が最もグレーゾーンが広く、判断に迷うところです。
苦情・要望は、基本的に正当な権利
大前提として、利用者やご家族が、サービスへの不満や改善の要望を伝えること自体は、正当な権利です。とりわけ、介護事故が起きたあとに、ご家族が事実確認や説明を強く求めるのは、当然のことです。
ですから、「クレームが来た=カスハラだ」と最初から身構えるのは誤りです。まずは、正当な訴えである可能性を前提に受け止める姿勢が出発点になります。
分かれ目は「手段・態様」と「要求の正当性」
では、どこからがカスハラなのか。ここでも2軸が効きます。
たとえ要求の「内容」が正当でも、それを伝える「手段・態様」が社会通念を超えれば、その部分はカスハラに転化します。逸脱の典型は、暴力や脅迫、長時間にわたる居座りや拘束、土下座の強要、容姿や人格を否定する暴言、SNSでの中傷などです。また、サービスの範囲を超えた過大・不当な要求を執拗に繰り返すことも、「内容」の軸でカスハラに近づきます。
具体例で仕分けしてみる
実際の場面を、3つに分けて考えてみましょう。
明らかにカスハラといえるのは、たとえば次のような場合です。説明を求めること自体は正当でも、職員を長時間居座って拘束し、土下座を強要する。特定の職員の容姿や人格を繰り返し罵倒する。職員の身体に触れたり、性的な言動を繰り返したりする。これらは手段が完全に逸脱しており、内容が何であれカスハラです。
判断が難しいグレーゾーンは、正当な苦情からカスハラへ移りつつある場面です。たとえば、事故の原因究明を求めること自体は正当ですが、明確な根拠なく「隠蔽している」と決めつけて執拗に調査を要求し続け、約束した面談を一方的にドタキャンして職員を振り回すようなら、すでに正当な範囲を越えつつあります。サービス範囲を超える介助を繰り返し求め、断ると不機嫌になって圧力をかける、というのも、グレーからカスハラ寄りの典型です。
一方、正当な範囲にとどまるのは、事故後に多少強い口調であっても、冷静に事実確認と再発防止を求める・サービス内容への具体的な改善を要望する、といった場合です。
これらは、事業所が誠実に応えるべき訴えです。
グレーを見極めるコツ
迷ったときは、「要求の中身は正当か」と「伝え方・頻度・程度は社会通念の範囲か」を分けて考えてください。
中身が正当なら、手段が逸脱した部分だけを問題にし、苦情そのものを丸ごと否定しないことです。そして、判断に迷うグレーな事案ほど、その場の感覚で決めず、記録をとって組織で判断することが重要になります。その具体的な進め方は、次章で扱います。
現場で使える「見極めの型」
ここまで、定義の確認から、認知症・障害・正当な苦情との線引きまでを見てきました。最後に、これらを現場で誰でも使える手順、「見極めの型」として整理します。3つのステップで考えてください。
ステップ1:2軸と反復継続で整理する
まず、目の前の言動を、第1章で示した物差しに当てはめます。「要求の内容は正当か、不当か」。「伝える手段・態様は、社会通念の範囲か、逸脱しているか」。そして「それが一度きりか、反復・継続しているか」。
このとき、相手の言動が認知症の症状(BPSD)に起因していないか、障害のある方の正当な配慮の求めではないか、という可能性もあわせて確認します。第2章・第3章で見たとおり、これらはカスハラとは別の枠組みで対応すべきものだからです。
ステップ2:即断せず、まず記録する
次に大切なのが、その場の感覚で「これはカスハラだ」と即断しないことです。
まずは事実を記録します。
いつ、どこで、誰が、何を、どのように行ったのか。この5W1Hを、できるだけ客観的に書き残します。この記録は、後から冷静に判断するための材料になるだけでなく、第1回で触れた安全配慮義務や労災の場面でも、事業所を守る根拠になります。記録のない「言った・言わない」では、職員を守れません。
ステップ3:個人で判断せず、組織で判断する
そして、職員個人の主観で「これはカスハラだ」「いや、我慢すべきだ」と決めてしまわないことです。
記録を持ち寄り、管理者やチームで判断する。これを徹底します。そのためには、事業所としてあらかじめ「どこからをカスハラとみなすか」という基準を共有しておくことが欠かせません。これは、第1回で触れた措置義務の柱のひとつ「方針の明確化」にもつながります。基準が共有されていれば、対応する職員によってブレることなく、また職員が一人で抱え込んで疲弊することも防げます。
見極めは、ゴールではなく入口
ここまでで、「何がカスハラか」を見極める力は身につきました。ただし、見極めはゴールではなく入口です。
「これはカスハラだ」と判断できたとき、次に待っているのは「では、どう対応するのか」という、より難しい問題です。とりわけ介護では、簡単にサービスを断れない事情(応諾義務)があり、提供拒否や契約解除には特有の難しさがあります。次回・第3回では、この「カスハラと判断したあとの対応」を扱います。
まとめ——「線引き」を、個人ではなく組織の力に
第2回では、介護現場で最も悩ましい「どこからがカスハラか」という線引きを扱ってきました。要点を3つに整理します。
第2回の3つのポイント
ひとつめ。カスハラかどうかは、「要求の内容が正当か」と「伝える手段・態様が社会通念の範囲か」、そして「反復・継続しているか」で見極めます。「クレームが来た=カスハラ」と決めつけず、まずは正当な訴えの可能性から受け止めることが出発点です。
ふたつめ。認知症の症状(BPSD)による言動や、障害のある方からの正当な合理的配慮の求めは、カスハラとは別の枠組み(ケアや配慮)で対応すべきものです。ただし、原因が症状であっても、職員の安全に配慮する義務は変わりません。「ケアの課題」と「職員を守ること」を両立させる、二段構えの姿勢が必要です。
みっつめ。見極めは、職員個人の主観で行わないことです。事実を記録し、組織で判断する。そのために、事業所として「どこからをカスハラとするか」の基準をあらかじめ共有しておく。これが、職員の抱え込みと対応のばらつきを防ぎます。
次回予告:カスハラと判断したら、どう対応するか
見極めは入口にすぎません。
「これはカスハラだ」と判断したあと、どう対応するか——次回・第3回では、介護に特有の「応諾義務」を踏まえながら、サービスの提供拒否や契約解除を、適法に進めるための考え方と手順を扱います。


当事務所のサポートについて
当事務所は、医業・社会福祉に特化した社会保険労務士事務所として、カスハラの判断基準づくり、就業規則や対応規程の整備、相談体制の構築などをお手伝いできます。「自院の基準をどう決めればよいか」という段階からでも構いません。必要があればご相談ください。
